ハッテン途上ライダーのブログ

Motorcyclistの端くれ。コミネマン予備軍。(so-netブログから移行してきました)

《大昔の下書き記事放出》地震につき退避行動中。(備忘録的なもの)

ずっと前に下書きに入れてた記事を放出します。

推敲する気が起きないのでそのまま出すゾ!

 

前回の記事っていつ書いたっけ?

fuku-yu.hateblo.jp

3月30日!?

 

放置しすぎましたね…。すみません。

 

こんなクソブログ誰も見てないだろうから問題ないけど。

 

放置中のバイクの変化ですが、特にありません。

 

強いて言うなら、

駐輪場の隣のひとがチャリを倒して

外装が剥げたくらいです(キレ気味)

 

まあ、仕方ないよね。共有スペースなので仕方ない。

 

てな具合で、

なんの変化を遂げることもなく、14日の地震を迎える…

 

14日はちょっと用事があって学校の射撃場へ行ってて、9時過ぎに射撃場を出て道路を歩いているときに地震が来た

 

揺れだすと同時にエリアメールが来たので、状況はすぐに理解できた。

揺れ始めて5秒ぐらいで頭上の電線が切れて降ってきた+民家の外壁が崩れだしてきたので広い場所へ退避。

 

揺れが穏やかになってから、大学の広場へ移動

しかし、午後10時。教職員の大半は帰宅しており、学生の統率はとれておらず、さらに食堂の瓦や外壁のレンガが落下し散乱していたため危険と判断して同行していた友人とともに帰宅することにした。

 

たまたまタンデマー用のチープなヘルメットを持っていたので、友人Aを後ろにのっけて友人宅へ直行

すると、隣人のおばちゃん(おねえさん??)が、「ドアが開かない部屋があるので確認しとったほういいですよ。」との事なので僕も一緒に部屋の中を確認。

特に大きな被害はなさそうだったが、立地的に危険なアパートだったため僕のマンションに一緒に帰ることにした。淫夢要素はありません)

 

僕のマンションは特に被害はなく、一安心。

帰る際にガソリンを満タンにして、

断水したら困るので生活用水として風呂に水を張り食べ物の買い出しに出たのだが、ここでビックリ。

 

ガソリンスタンドはガラガラだし、コンビニもガラガラ。街はいつも通り平常運転。

災害慣れしてないというか、防災意識が低いというか、

あまりの平常さにちょっと怖さすら感じた。

 

買い出しを終え、TVを付けて一息ついていると、別な友人Bから電話が来た。

『水が漏れてて電気もガスも止まってて住めん!』要は迎えに来いということだ。

 

迎えに行ったのち、いつ入れなくなるかわからないので風呂に入り、寝落ち。

 

 

翌日のニュースで益城がヤバいことを知る。さらに授業も休講となったためうちでグダグダ過ごす事になった。

 

午後15時ごろに鹿児島本線が動き出したとの事で友人Aが博多に帰省。(これは地震の前から計画済みだった)

 

残されたBと僕で買い出しに出かけ、夕飯を作り、食後にコナンくんを見ながらレディーボーデンを食べて就寝。

 

平常だったらお酒を飲んでただろうけど、何が起こるかわからないと考え、飲まなかったのが正解だった。

 

深夜1時30分くらい、もの凄い揺れで目が覚める。

続いてエリアメールが鳴り響く

ガラスが割れ物が散乱する音で会話すらままならない

そして揺れが激しすぎてベッドから立ち上がれない

 

揺れは続いているが立ち上がれるようになったので部屋を見渡すと、

は割れた食器が散乱し、PCのモニターとスピーカーが吹っ飛んできている

 

さらに、カーテンを開けて外を見ると、

バイクがサイドスタンドの反対側に倒れている

これを見た瞬間、今までの揺れが尋常じゃないものだと理解した。

 

とにかく、電気をつけようとするが、停電しているし、どうすることもできない。

もうパニック状態

 

とりあえず寝巻のジャージから服に着替え、マンションの外へ出る。

外に出ると、周囲の住民やマンションの隣人でごった返していた。

 

おそらく、僕のマンションに学生がいっぱいたまっていたのだろう。

(1回目の地震の後、20戸くらいしかないマンションなのにチャリが40代くらいとまってた。いつもは10台くらい)

 

一向に揺れはおさまらないし、建物の中にいるのは危険。

どこかへ避難しなければならないことは明白だった。

 

斜め向かいの大学院生のお兄さんが、「どうすればいいんですかね?」とテンパってたので、

「必要最低限ものだけ持って逃げましょう。」と言うと、

「必要最低限ってなんですか?」と聞き返される。

考えてみたが、確かに、何が必要で何がいらないかなんてこのパニック状態で正常に判断できるわけがない。

 

ぼくはとりあえず、免許、印鑑 ハンコ、保険証、通帳とか、お金系+身分証明系を部屋から引っ張り出して逃げてきた。

 

電気がなく、床はガラスだらけ。おまけに、建物が崩れてくるかもしれない恐怖の中で、靴を脱いで部屋に入っている余裕はなかった。

 

荷物を整理した後、隣人とやり取りをして、バイクを起こして外に出した。

幸いダメージはマフラーカバーとバーエンドのみ。燃料漏れ等はなかったのでこのまま北上することに決めた。

 

斜め向かいのお兄さんと「生きて戻ってきましょう。」っていう話をしてエンジン始動。

 

友人の親戚のお宅が北九州市にあるそうなのでそちらに向けて出発。

 

電気がないため、信号は作動していなかったが、早々に警察官が交通整理を始めていた。R3沿いのガソリンスタンドはやってないが、満タンにしてあったので九州を出るくらいは余裕だったので気持ち的には楽だった。

 

熊本県内を北上していると、道路沿いの建物がときどき崩壊している。更に、あたり一帯がガス臭くあきらかに異常な雰囲気が漂っている。

 

地震後すぐに避難を開始したので、大規模な渋滞にはまることはなかったが、外気が4度とかなり寒かったので休憩をせざるを得なかった。

九州ってこの時期もうカイロ売ってないんだよね。カイロほしかった。

 

なんとか薄明るくなるころには福岡市周辺までたどり着けたが、ここから北九州までがこれまた遠い…

 

とはいえ、道は結構すいてるし、熊本ナンバーの軽自動車がOver100km/hで爆走してたので僕もそれらをヒョイヒョイ追い越してたらあっという間に北九州到着。

 

友人の親戚の家でお風呂に入れてもらい、布団を用意してもらっていたので爆睡。

起きたらステーキと、どこから情報を仕入れたのか、ぼくの好きなサッポロビールがある!!?

 

ごはんをごちそうになった後、もう一回お風呂に入れられて、ニュースを見ながらいろんな談義をして就寝。

 

翌朝、ご飯を食べさせてもらい、ぼくは福岡空港へ移動。

 

福岡から成田まで飛んで、

京成上野まで電車で移動して

JR上野から新幹線で仙台まで帰った。

 

てな感じで壮絶な4日間でした。

 

ちなみに、実家に帰ってから何故か仙台も揺れるっていう意味不明な事象も発生。

 

現在実家にてNEETのような生活。

放置してきた自宅と現地に実家がある友人たちが心配。大丈夫かな。

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