ジャケットの重要性に気付いた。
このたび、事故を起こして痛感したのが、ヘルメットとジャケットの重要性。
事故時、顔面をコンクリートにぶつけたため、シールドはなくなっていたけど、頭部への衝撃はあんまりなくて(とはいっても若干意識障害が出たけど)ぶつけた時も、ふわっと保護されている感じがあった。
退院してから、事故時にかぶっていたヘルメットを見てみると…
帽体が割れてました(驚)
頭に投資しておいて本当によかったと実感しました。
あと、ジャケット。
事故時に着てたのはコミネの2万円ちょっとのフルプロテクションのやつ。
こっちは効果があったのかなかったのか実感は微妙だけど、救急隊員と警察官と医者が口をそろえて、「プロテクター入ったの来てなかったら相当悲惨だったろうね。」
というので、効果は絶大だったんでしょうね。
たしかに、後に、ホンダドリーム広島の方に、車体がこれだけになる事故で、鎖骨砕いただけで済んだなんてすごいですね。って言われた。
やっぱり、オートバイに乗るなら、安全装備は妥協しちゃダメだというあたりまえのことを再認識させられました。
あ、そうだ!(唐突)
今回こけたスポットに名前つけよう(迷案)
こけたのは僕なんだから、命名権もぼくにあるでしょ!(謎理論)
ということで、
当該現場をCBRコーナーと命名します。
あれ?コーナーじゃなくね??
まあいっか。
KUMAMOTO-SENDAI 3000KM 耐久ツーリングの計画
寂しくなったので帰省します!
※がんばってお休みをもらいました。
片道1500KMオーバーだけど、
気合で乗り切れるっしょ!(脳筋並み感)
ということで、ルートの選定。
≪ルート≫
おうち→R387→R212→R211→R500→R322→R2→関門トンネル→R2→R490→R262→R191→R9→R54→R9→R175→R27→R8→R7→R290→R113→R457→R286→R4→GOAL
今回の旅で、1桁国道制覇できるかも。
最後のほうにR457とかR286とか、しれっとえげつない酷道が入ってきてるけど、まあ仕方ない。
気が変わったら、米沢→会津→R4で帰るかも。
大体、片道1550kmあるので、大阪あたりで1泊する予定。
2日目にキツかったら、富山近辺でさらにキャンプの予定。
九州を抜けるのに、R3じゃなくて、3桁国道ばっかり通るけど、深夜のR3はトラックojsnが遅くてウザいので遠慮しました。(久留米まで2.5時間くらいかかるorz)
≪往路の日程≫
8/30 24:00熊本出発
18:00大阪到着
8/31 4:00大阪出発
22:00仙台到着
≪持ち物≫
リュック
・PC
・めがね
・鍵
・でんわ
・カメラ
シートバッグ
・テント
・銀マット
・チェーンオイル
・タオル
・ストーブ
・ちっちゃいなべ
・ガムテ
・ブルーシート
・レインウエア
・ぼうし
・虫よけ
・カセットボンベ
タンクバッグ
・着替え
・おふろセット
別送
・スケート
・おみやげ
・向こうで使う着替え
・そのた
≪行く前にやっておくこと≫
・Fブレーキパッド交換
・エアクリーナーエレメント交換
・メンテ中に倒して折ったクラッチレバー交換…。
とりあえず現段階はこんなもん!
随時追加予定。(備忘録的な・・・。)
長崎ツーリング+オイル交換
結構前の下書き記事ですorz
めんどくさいのでそのまま放出します。
だいぶご無沙汰しておりました。
最近は忙しくて、
通学以外で全くバイクに乗れていなかったので、いろんな欲求不満を解消しに長崎まで行ってきたゾ!
ブログ更新するの何か月ぶりだろうw
≪計画≫
熊本市内→天草→島鉄フェリー→口之津→長崎市→佐世保→多比良(有明フェリー)→熊本市
熊本港から出てる島原まで行けるフェリーは高いので却下。(ウェーブピアーサー型の高速船)
最初の通過点。
上天草市の松島町。水が青くてきれい。
宮城県の松島町とちがって、ドブじゃないし、キレイ。
ぼく的には天草の松島のほうが走ってて気持ちいいし、好き。
天草から長崎まではフェリー。
125㏄唯一のメリット、低運賃。
電車感覚でフェリーに乗れる。
全長49メートル、乗用車が30台しか乗らないミニフェリーでした。
不運にも、幼稚園児くらいの年齢の子供が多くて、
クッソうるさくて朝から不機嫌になりました。
子供が悪いんじゃなくて度を超えて騒いでてもほったらかしとくバカ親がわるい(怒)
カッターで首ちょん切るぞ。
長崎上陸後は、新しい感じの風景を見ながら淡々と長崎市まで進んで、ちょうどいいところに南海部品があったんで、消耗品を調達。
長崎店、ちっちゃくて全然何にもなかった(暴言)
どんどん進んで、佐世保。
佐世保駅の近くのお店で佐世保バーガーを食べて、本日の目的は終了。
ベーコンエッグバーガーのセット。1150円。
バーガーはとってもおいしかったんだけど、ポテトがちょっとorz。(素直に残しました)🙇
※ここから先は、最終フェリーに乗り遅れそうで急いでいたため画像なし。
帰りは、オレンジ街道を通って多比良まで行ったんだけれど、熊本のオレンジと違って、長崎のオレンジ最高。
景色もいいし、追い越し禁止じゃないし、軽快な高速コーナーが連続してる。
牡鹿半島のコバルトラインの倍くらいの速度で走れる。
道路が快適すぎて、結局40分くらい前に港につちゃって、暇かと思いきや、港までの道中に遭遇した、PCX150ojsnとおしゃべりして暇つぶし。600RR逆車に乗っているらしい。羨ましいorz
帰りに金峰山経由で帰ってきたんだけれど、暗すぎてすごいゆっくりしか走れなかったのは秘密。
おわり。
《大昔の下書き記事放出》地震につき退避行動中。(備忘録的なもの)
ずっと前に下書きに入れてた記事を放出します。
推敲する気が起きないのでそのまま出すゾ!
前回の記事っていつ書いたっけ?
3月30日!?
放置しすぎましたね…。すみません。
こんなクソブログ誰も見てないだろうから問題ないけど。
放置中のバイクの変化ですが、特にありません。
強いて言うなら、
駐輪場の隣のひとがチャリを倒して
外装が剥げたくらいです(キレ気味)
まあ、仕方ないよね。共有スペースなので仕方ない。
てな具合で、
なんの変化を遂げることもなく、14日の地震を迎える…。
14日はちょっと用事があって学校の射撃場へ行ってて、9時過ぎに射撃場を出て道路を歩いているときに地震が来た。
揺れだすと同時にエリアメールが来たので、状況はすぐに理解できた。
揺れ始めて5秒ぐらいで頭上の電線が切れて降ってきた+民家の外壁が崩れだしてきたので広い場所へ退避。
揺れが穏やかになってから、大学の広場へ移動。
しかし、午後10時。教職員の大半は帰宅しており、学生の統率はとれておらず、さらに食堂の瓦や外壁のレンガが落下し散乱していたため危険と判断して同行していた友人とともに帰宅することにした。
たまたまタンデマー用のチープなヘルメットを持っていたので、友人Aを後ろにのっけて友人宅へ直行。
すると、隣人のおばちゃん(おねえさん??)が、「ドアが開かない部屋があるので確認しとったほういいですよ。」との事なので僕も一緒に部屋の中を確認。
特に大きな被害はなさそうだったが、立地的に危険なアパートだったため僕のマンションに一緒に帰ることにした。(淫夢要素はありません)
僕のマンションは特に被害はなく、一安心。
帰る際にガソリンを満タンにして、
断水したら困るので生活用水として風呂に水を張り、食べ物の買い出しに出たのだが、ここでビックリ。
ガソリンスタンドはガラガラだし、コンビニもガラガラ。街はいつも通り平常運転。
災害慣れしてないというか、防災意識が低いというか、
あまりの平常さにちょっと怖さすら感じた。
買い出しを終え、TVを付けて一息ついていると、別な友人Bから電話が来た。
『水が漏れてて電気もガスも止まってて住めん!』要は迎えに来いということだ。
迎えに行ったのち、いつ入れなくなるかわからないので風呂に入り、寝落ち。
翌日のニュースで益城がヤバいことを知る。さらに授業も休講となったためうちでグダグダ過ごす事になった。
午後15時ごろに鹿児島本線が動き出したとの事で友人Aが博多に帰省。(これは地震の前から計画済みだった)
残されたBと僕で買い出しに出かけ、夕飯を作り、食後にコナンくんを見ながらレディーボーデンを食べて就寝。
平常だったらお酒を飲んでただろうけど、何が起こるかわからないと考え、飲まなかったのが正解だった。
深夜1時30分くらい、もの凄い揺れで目が覚める。
続いてエリアメールが鳴り響く。
ガラスが割れ、物が散乱する音で会話すらままならない。
そして揺れが激しすぎてベッドから立ち上がれない。
揺れは続いているが立ち上がれるようになったので部屋を見渡すと、
床は割れた食器が散乱し、PCのモニターとスピーカーが吹っ飛んできている。
さらに、カーテンを開けて外を見ると、
バイクがサイドスタンドの反対側に倒れている。
これを見た瞬間、今までの揺れが尋常じゃないものだと理解した。
とにかく、電気をつけようとするが、停電しているし、どうすることもできない。
もうパニック状態。
とりあえず寝巻のジャージから服に着替え、マンションの外へ出る。
外に出ると、周囲の住民やマンションの隣人でごった返していた。
おそらく、僕のマンションに学生がいっぱいたまっていたのだろう。
(1回目の地震の後、20戸くらいしかないマンションなのにチャリが40代くらいとまってた。いつもは10台くらい)
一向に揺れはおさまらないし、建物の中にいるのは危険。
どこかへ避難しなければならないことは明白だった。
斜め向かいの大学院生のお兄さんが、「どうすればいいんですかね?」とテンパってたので、
「必要最低限ものだけ持って逃げましょう。」と言うと、
「必要最低限ってなんですか?」と聞き返される。
考えてみたが、確かに、何が必要で何がいらないかなんてこのパニック状態で正常に判断できるわけがない。
ぼくはとりあえず、免許、印鑑 ハンコ、保険証、通帳とか、お金系+身分証明系を部屋から引っ張り出して逃げてきた。
電気がなく、床はガラスだらけ。おまけに、建物が崩れてくるかもしれない恐怖の中で、靴を脱いで部屋に入っている余裕はなかった。
荷物を整理した後、隣人とやり取りをして、バイクを起こして外に出した。
幸いダメージはマフラーカバーとバーエンドのみ。燃料漏れ等はなかったのでこのまま北上することに決めた。
斜め向かいのお兄さんと「生きて戻ってきましょう。」っていう話をしてエンジン始動。
友人の親戚のお宅が北九州市にあるそうなのでそちらに向けて出発。
電気がないため、信号は作動していなかったが、早々に警察官が交通整理を始めていた。R3沿いのガソリンスタンドはやってないが、満タンにしてあったので九州を出るくらいは余裕だったので気持ち的には楽だった。
熊本県内を北上していると、道路沿いの建物がときどき崩壊している。更に、あたり一帯がガス臭く、あきらかに異常な雰囲気が漂っている。
地震後すぐに避難を開始したので、大規模な渋滞にはまることはなかったが、外気が4度とかなり寒かったので休憩をせざるを得なかった。
九州ってこの時期もうカイロ売ってないんだよね。カイロほしかった。
なんとか薄明るくなるころには福岡市周辺までたどり着けたが、ここから北九州までがこれまた遠い…
とはいえ、道は結構すいてるし、熊本ナンバーの軽自動車がOver100km/hで爆走してたので僕もそれらをヒョイヒョイ追い越してたらあっという間に北九州到着。
友人の親戚の家でお風呂に入れてもらい、布団を用意してもらっていたので爆睡。
起きたらステーキと、どこから情報を仕入れたのか、ぼくの好きなサッポロビールがある!!?
ごはんをごちそうになった後、もう一回お風呂に入れられて、ニュースを見ながらいろんな談義をして就寝。
翌朝、ご飯を食べさせてもらい、ぼくは福岡空港へ移動。
福岡から成田まで飛んで、
京成上野まで電車で移動して
JR上野から新幹線で仙台まで帰った。
てな感じで壮絶な4日間でした。
ちなみに、実家に帰ってから何故か仙台も揺れるっていう意味不明な事象も発生。
現在実家にてNEETのような生活。
放置してきた自宅と現地に実家がある友人たちが心配。大丈夫かな。